多くの方にご利用いただいているホームページ作成とその後のサポートまでをパッケージにしたサービス「ウェブサクッ!」ですが、今年でサービス誕生10周年となります。これまで2,000社以上に導入頂いており、多くの利用者様から喜びの声を頂いております。
また、10年目を迎えた今年1月、『ホームページ制作会社顧客満足度、価格満足度、品質満足度』3部門でNo.1獲得することができました。1,000人以上の経営者の方に選んで頂けたことは大変ありがたく光栄なことです。
実は、ウェブサクッ!が誕生したそもそもの理由は、ビジネスだけではない側面が多くあります。そして、いずれハイファクトリの「Webの"売る"を知り尽くす(Webマーケティングを知り尽くす)」というミッション・ビジョンを作ったきっかけになったほど、私たちにとって決して忘れることのできないエピソードがあります。
3.11東日本大震災で生まれた「ウェブサクッ!」誕生秘話
公開日: 2022/08/11
更新日: 2023/01/20
報道されなかった被災地、茨城で見た光景
茨城オフィスから約5km地点の写真(画像:茨城県HPより)
2011年3月11日14時46分頃に発生した東日本大震災。
被災した方はもちろん、あの時を被災地で過ごした方はそれぞれ何か心に残るものがあるのではないかと思います。茨城オフィスのある茨城県神栖市も震度6弱を観測しており、オフィスの建物こそ被害はありませんでしたが、鹿島港の近い場所では2m近くの津波があったり、道は隆起し電柱は倒れ、液状化によって傾いた多くの塀や家屋だったりと、その日の朝と夜の光景はまったく変わっていました。自宅近くまで津波が来たため一晩避難したというメンバーもいました。幸いにも同じ市内では一人も死者が出なかったこともあってか、報道で取り上げられることもありませんでした。
2011年3月11日14時46分頃に発生した東日本大震災。
被災した方はもちろん、あの時を被災地で過ごした方はそれぞれ何か心に残るものがあるのではないかと思います。茨城オフィスのある茨城県神栖市も震度6弱を観測しており、オフィスの建物こそ被害はありませんでしたが、鹿島港の近い場所では2m近くの津波があったり、道は隆起し電柱は倒れ、液状化によって傾いた多くの塀や家屋だったりと、その日の朝と夜の光景はまったく変わっていました。自宅近くまで津波が来たため一晩避難したというメンバーもいました。幸いにも同じ市内では一人も死者が出なかったこともあってか、報道で取り上げられることもありませんでした。
仕事があることへのありがたさと虚しさの狭間で
そんな中、震災の影響でテレビCMの自粛が相次ぎ、多くの企業がWebに広告費を使うようになったため、私たちへの依頼が増えていくということがありました。仕事の依頼が来ることのありがたさ、出来ることありがたさを実感しながら業務にあたっていました。
一方で、茨城オフィスの周辺では道路が割れ、隆起と陥没を繰り返す道ばかり。街灯や建物も傾いているようなところが散見しており、日常の仕事や生活もままならない方、避難所で生活している方も身近にいました。飲食店などの店舗の方々は、津波の泥を何日もかけて取り除いたり、傾いた店舗でも何とか営業しなければと仮設店舗で営業をしていたりと、仕事どころではなくなっていました。
震災数日後の市内の公道(画像:神栖市HPより)
茨城オフィスのメンバーは、毎日その光景を朝見ながら出勤しては、夜には街灯が灯ることが無くなった真っ暗な町を抜け、家路に帰る日々が続きました。また、ほぼすべての道路が隆起と陥没していたこともあり、車のスピードもいつもの半分以下でゆっくり帰らなければならず、いつもの倍近くの時間をかけて通っていました。その状況をなかなか受け入れることが出来ず、苦しんでいるメンバーもいました。
そんな日常を送る中で、ある日メンバーの1人が代表の岩瀬に気持ちを打ち明けました。
この言葉をきっかけに、その人だけでなく全員が、心の中にちょっとした矛盾を抱えながら仕事を続けていたことに気が付きました。全員が地域の為に何かをしたいという気持ちで溢れていました。
一方で、茨城オフィスの周辺では道路が割れ、隆起と陥没を繰り返す道ばかり。街灯や建物も傾いているようなところが散見しており、日常の仕事や生活もままならない方、避難所で生活している方も身近にいました。飲食店などの店舗の方々は、津波の泥を何日もかけて取り除いたり、傾いた店舗でも何とか営業しなければと仮設店舗で営業をしていたりと、仕事どころではなくなっていました。
震災数日後の市内の公道(画像:神栖市HPより)
茨城オフィスのメンバーは、毎日その光景を朝見ながら出勤しては、夜には街灯が灯ることが無くなった真っ暗な町を抜け、家路に帰る日々が続きました。また、ほぼすべての道路が隆起と陥没していたこともあり、車のスピードもいつもの半分以下でゆっくり帰らなければならず、いつもの倍近くの時間をかけて通っていました。その状況をなかなか受け入れることが出来ず、苦しんでいるメンバーもいました。
そんな日常を送る中で、ある日メンバーの1人が代表の岩瀬に気持ちを打ち明けました。
"私たちにはたくさんのお客様がいるから、今までと同じ仕事ができる。それは本当にありがたいことだと思う。
でも、毎日通う道には光もなく、仕事もできず壊れた家で過ごしている人が沢山いる。
テレビをつければ家が流されたり、生活基盤全てを失った人たちがたくさんいる。
私たちはここでいつも通り過ごしていることが心苦しい"
この言葉をきっかけに、その人だけでなく全員が、心の中にちょっとした矛盾を抱えながら仕事を続けていたことに気が付きました。全員が地域の為に何かをしたいという気持ちで溢れていました。
地域復興支援のプロジェクトとして誕生したサービス
この一言をきっかけに、改めて私たちは誰のために、何のために仕事をしているのかと考えるようになり、この地域のためのサービスを作ろうとなりました。自分たちはこれまで企業の為に役に立つことをしてきた。そして企業の目的を果たすための手段として、ホームページや広告を扱っている。その力を地域の人向けに全力で考えよう。全員が熱狂と共に賛同してくれたことは、言うまでもありません。
地域の皆さんが使いやすくて導入しやすい
ホームページサービスを作って地域を盛り上げよう
コンセプトが決まり、何も言わずに全員が同じ方向を向いて仕事をしているような異様な一体感に包まれていました。私たちは、通常業務を18時までに終わらせ、18時から毎日のように会議を繰り返し、2ヵ月後の県内の展示会での販売を目標にしました。
PCが苦手な方やITアレルギーの方でも安心が出来て、金額もうんとリーズナブルにして、資料には専門用語は避けようなど、様々な意見が出ました。ネーミングもとっつきやすさを重視し「ウェブサクッ!」としました。
地域の皆さんが使いやすくて導入しやすい
ホームページサービスを作って地域を盛り上げよう
コンセプトが決まり、何も言わずに全員が同じ方向を向いて仕事をしているような異様な一体感に包まれていました。私たちは、通常業務を18時までに終わらせ、18時から毎日のように会議を繰り返し、2ヵ月後の県内の展示会での販売を目標にしました。
PCが苦手な方やITアレルギーの方でも安心が出来て、金額もうんとリーズナブルにして、資料には専門用語は避けようなど、様々な意見が出ました。ネーミングもとっつきやすさを重視し「ウェブサクッ!」としました。
ハイファクトリだからできること
このように茨城オフィスのメンバーによる壮絶な体験からはじまり、メンバーの一言によって地域の為のサービスとして、ウェブサクッ!は誕生しました。今では地域の人たちだけでなく、ほぼ全国の都道府県にウェブサクッ!サービスを利用している企業が存在します。
また、ウェブサクッ!は単なるホームページ作成のサービスではなく、強い使命感と覚悟が込められています。私たちのミッション・ビジョンを「Webの"売る"を知り尽くす」としたのも、この体験を通して、自分たちの存在意義や価値を定義できたことは大変大きな成果だったと思います。
さらに、これからはもっともっとホームページを活用するシーンが増えていきます。10年前は1社1サイトだった時代から、これからは1社10サイトの時代になり、コーポレートサイト、商品別サイト、集客用オウンドメディアサイト、採用サイトなど、目的に応じてサイトを作っていくことは企業に必要不可欠となっていきます。
私たちはウェブサクッ!をホームページ業界No.1のサービスとして、2026年までに1万社の導入を目指し、これからも一層サービスに磨きをかけていきます。
ウェブサクッ!公式サイト
また、ウェブサクッ!は単なるホームページ作成のサービスではなく、強い使命感と覚悟が込められています。私たちのミッション・ビジョンを「Webの"売る"を知り尽くす」としたのも、この体験を通して、自分たちの存在意義や価値を定義できたことは大変大きな成果だったと思います。
さらに、これからはもっともっとホームページを活用するシーンが増えていきます。10年前は1社1サイトだった時代から、これからは1社10サイトの時代になり、コーポレートサイト、商品別サイト、集客用オウンドメディアサイト、採用サイトなど、目的に応じてサイトを作っていくことは企業に必要不可欠となっていきます。
私たちはウェブサクッ!をホームページ業界No.1のサービスとして、2026年までに1万社の導入を目指し、これからも一層サービスに磨きをかけていきます。
ウェブサクッ!公式サイト